メモ
・生活直結
→ゲーム会社 (あ、それ知ってる!)
→今の生活には直結してるがビル管
→コンビニ うーん(作業
→ 自信を持つ
やってることしか自信は持てない。
→長い期間取り組んででた成果→資格業務 知識を生かす
自分がどうでもいいと思うことは余計なことさえしなければいい
会社に入ってすぐのころ、マナー研修やらビジネス文章研修やらがあった。
当時は「ほーん、意外と歳いってからも間違える人もいるのか」ぐらいに思っていた。
入社して数年たったある日、まさにビジネス文章で間違えてしまい、受取手の印象(というよりチェックした上司の印象)を悪くさせた。
自分では何が悪いのかわからず、上司に指摘されてわかる系のアレである。
で、ぶっちゃけ私は「どうでもよくね?」と思ってしまう。冷静に考えれば何の問題もないし、暗黙のマナーをしつこく気にする上司は気に入らなかったのだろう。
しかし、タイトルの通り、余計なところの損を避けた方が得をするだろう。
ただ、もちろんマナー講師レベルは完璧にしろという訳ではない。そこで得た結論は
「余計なことを書かない」である。
一般のサラリーマンはグダグダと丁寧な文章を並べているが、別に指摘される要素もなく無難に書けばいい。
特に個人的趣向がでる単語などは極力避ける。
余計なことを言わない、書かない。そうすれば減点されることはない
洋服を買うとき
みんななりたい自分があった時どうするか?
そう、全部真似をするべきである。
洋服まである。
??
なぜ洋服かって?
モデルとなる人がこの世には溢れている。
あ、なんかかっこいい。
しかし、多くの人は全部真似できていない。
服単体だけいいな、と最近は思うことで勘違いが生まれる。
あ、このセーターいいな。
しかし、部分では魅力が半減してしまう。
あ、いいなと思うものは部分の一部ではないか?
その融合体がいいな、と思う正体だ。
勘違いがしないようにね
新しい環境に行きたいのに自信がないから断念してしまう悪癖
新しい会社へ行こうとして書類が通っても、落ちたことにホッとする自分がいる。なぜだ。こんなことがここ最近続いていた。
多分、普段の仕事の全力度が足りないからだ。普段のことをやれていれば、今度のことも自信がつく。
知識、もその要因の1つだ。ITのことしかやってない人間が不動産の専門家にいきなりなろうとしたとき、勉強は必須である。
今の環境は嫌だ。でも新しいことは…何ならハマれて自信が持てるか
高校の友人と会ったんだが
その友人はハウスメーカーの営業をやっている。
勤めている会社の売上ランキングで常に上位らしく、「やりがいがすごいある!」とか「稼げるしすごい良いよ!」とか言っていた。
最初はほぇーそうなんや〜くらいに聞いていた。彼女は突然電話が会社の同僚からかかってきた。住宅の引き渡しについて質問がきていた。すると彼女は建築学科卒の私もわからない専門用語でスラスラと質問に答えていた。
彼女がなぜこんなにも充実した様子かと疑問に思った。
「知識」の使い方が素晴らしい。
知識を高めるために知識をつけるのではなく、仕事で結果を出すために知識をつけている。
仕事の職種によりけりであるが、納期に間に合わせることが自分のやりがいだったり、数字を得るためだったり研究だったり、知見を持とうとする理由は様々である。
ただ、最悪なのが勉強することが目的になる仕事である
それに今自分は直面していないか?
完全なる労働者
タイトル通りの人種に当てはまると思うのは
建築、土木労働者が最も当てはまると思う。なぜか?
・商品をブラッシュアップできない
・客を選べない
・団体の一部
順に見ていこう
【商品をブラッシュアップできない】
これは設計段階、企画段階には何ら携わらない、ということだ。であれば、いかに作り手の生産性があがろうとも無駄なゴミが生産される可能性がある。
【客をえらべない】
顧客が何を求めているか?これに対しての解はおおければ多いほどいい。建築、土木業は顧客に対して出した商人が良いとも限らない。不動産主がこんなビルを建てて、とかこんな内装にして、とかいっても売り上げに繋がらないことは多々ある。がゆえに、「でっかい建築物が建ったこと」が作った側で正当化される。(ゴミだったりもする)
【団体の一部】
これは差別化がはかりづらいということだ。何をやっても同じ成果、同じアウトプットであれば特徴や特性は出づらい。
就職して自分を追い込むべきか?という問いにおいては完全なる労働者環境においてガチガチに追い込む理由はないと思う。
もちろん、営業マンだったり、コンペがある業界は追い込んだだけ成果になると思う。
つまり、自分を追い込みたい人は追い込んでその成果がある業界に行くべきだということ。そこそこで働きたいのに成果を求めるとマジで不幸になるし、逆も然り。