8/16
僕は昔から映画が好きだ。
アニメや漫画も好きだし、スクリーンに映っている俳優さんの真似とかは小さい頃からしていた。
しかし…だ。
映画というものの影響力を考えてみた。
もちろん、感動したり、笑ったり考えさせられたり、勉強になったりする。
しかし、映画を観た後急激な変化ってあるのか?
もちろん人間が変わるには本人の意思が必要であるから、じゃあ変化ってなんだよって話ではあるが…
人間がビフォーアフターで変化するには
・環境
・動機
が必要だと思っている。
その最たる例がSASUKEである。
SASUKEは放送当初は賞金目当てだった。しかし、特徴的なキャラクターが多く排出され、テレビに出ることで有名になることを目指す者も増えた。
そして、現在は挑戦したり、仲間と練習の時間を楽しんだりとコミュニティができている。
書評メモ 植松努さん「空想教室」
・夢=まだできていないこと
→理系の研究者の方に多い印象。すでにある職業でも夢と言っても全然いいのでは?と思った。
・自分ができないままだといつまでもお金を払うことになる
→確かに。しかも、できることが増えればそれが職業になるかもしれない。できない人が多いことを自分ができれば貴重である。これが植松さんの言うまだ誰もやったことのないことへ挑戦する意味なのかもしれない。
・ちょっと変わった子供だった
→当時から好奇心旺盛で、自分が気になるものは本屋に行き、作るを繰り返したそうだ。子供の時点では教科書を読むとかテレビを見るくらいしか情報源がない子がほとんどではないか。であれば大半の子はワクワクしないし、自分が気になったものを探そうともしないよなぁ。
そういう意味で、YouTuberのやってみた動画ってめちゃめちゃ好奇心を高めてくれるし、実際に手を動かすという行為に繋がるだろう。と思った。
・本を読む意味は昔の人達の努力の階段を登ること
→めちゃめちゃ腑に落ちた。本を読まなくていいという人ほど新しいことをできない人が多い気がする。なぜならば、彼らは真似型だから。特に営業マンに多い。言語能力には乏しいが空間認知能力が高いために売れている人のコピーは得意。新しいことを作る人はそれではダメなのだ。
・自分の人生の価値は人生を通して経験したことで決まる
・嫌な思いをしてるのは自分だけではない。それを救うための発明をする
→植松さんは会社のマグネットを発明した動機は(危ないから人が鉄くず仕分けないほうがいいんじゃね?)らしい。
嫌なことはチャンスで、ビジネスチャンスにもなる。だったらこうしようと常に考えること。
・売れそうだなと思えるものは二番煎じ
。すでに誰かが出してるものだから。
→丸パクリはアレだけど、改良した例は結構あるかな
・お金で買うものは趣味じゃなくてサービス。作ることこそが趣味
→グサッ。たいていの人は俺の趣味ってなんだろ?って思う理由かも。そして、なんとなく料理が趣味な人は趣味っぽい笑
そしてこの後に
・ほとんどの日本人は趣味は「買うしかない」「してもらうしかない」
と書かれている。確かに。そうかもしれない。サービスはサービス。趣味は趣味。
俺はSASUKEという番組が好きで、素晴らしいスポーツ、趣味だと思っている。なぜなら
・個人競技
・勝ち負けがない
・練習を仲間とできる
・有名選手はトレーナーとして起業してる笑
・世界規模
↑の書いてあることを満たしている。作っているかどうかは微妙としてもスキルアップ行為は間違いない。
大学の友達とそんなに会いたくないと思った
お盆休みということで、久しぶりに友達と再会した。
建築学科卒だから大体みんな建築関係
の仕事をしている。来れたのはたったの4人で、俺以外は
・公務員
・ディベロッパー
で、そこそこハイスペの集まりである。
しかし、みんななんというか、俺も含めてしがないサラリーマンだった。しがないサラリーマンの会話だった。
この4人の集まりの数日前、別の大学の友達と再会していた。これは2人だった。そいつには色々と世話になったし、当時付き合った彼女も紹介してもらった。
こいつは建築学科を卒業してから院浪人を経てとある大学院の脳科学の研究室に入った。
マンガを描いていたり、脳科学の話や人間のあり方を語れるやつで非常に面白く、それでいて非常に素直なのがいい。
就職もゲーム業界最大手のところに決まった。
数人で飲んでたわいもないことを話すと、いつも「なんでこんなことに時間を使ったんだろう」と最近思うようになった。
この飲み会で今度結婚する奴がいるが、その話を↑のやつに話したらしい。そこで就職の話をされたと言っていた。結婚する奴はひがんでいるようにしか見えない。言動と行動がいつも一致していない。例えば
・「結婚は墓場だぞ!」と言いつつ「悪くもないぞ…」と言う
・基本的に上から「お前らが成長して嬉しい」と言う。
・「俺は〇〇で悩んでる」と言ってらからこちらから助言すると「でもねぇ…そこまでじゃない」とか強がる。
この結婚する奴は29になるが、もうやり直せないという諦めなのか、なんなのか非常に愚かに見えた。
学生時代から人当たりは良くて、友達から愛されるタイプだったけど、深く付き合うとこういう感じなんだなぁと思った。
抽象語を使うなら、具体的事例のイメージがないと
抽象語はいつの時代も「それっぽいこと」として使えてしまう。
野球の指導をするにしても
・もっと頑張らないと
と言うのと
・バットコントロールを良くするために〇〇の練習をこれだけやらないと
という指導ではまるで異なる。
また、自己啓発本なんかも大抵は抽象語を使ってる。抽象語を使い、誰にでも当てはまる言葉を使い、読み手をやる気にはさせるものの、その具体的イメージは読み手側が抱けないと意味がない。なんとなく、それっぽいやる気になるのだ。
少し話が脱線するが、知識の勉強をする際にも、専門知識(具体的な言葉)を勉強せず、抽象語(あり方など)
を勉強し過ぎてしまう人が実は多い(私もその1人だ)。例えば、人間の意識やあり方について勉強するために、「人間とは何か?」という本を読んでしまったり。
建築家になるために建築物の勉強をせずに建築とは何か?という勉強しかしなかったり。
本来は専門知識⇄あり方の行き来をすべきである
下関高校監督の考え方はちょっとだけ正しいと思った
話題になっている下関高校監督のこのインタビュー。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170812-00000006-nkgendai-base
色々と突っ込みどころ満載。私なら「え、その練習の何がいいのか教えてくださいよ」とか言っちゃうタイプ笑。
時代錯誤。スパルタ。色んなイメージをコメント欄でもみかける。
さて、しかし。私は唯一頷いた点がある。勉強を諦めさせて(笑)野球にだけ集中させている点である。
この監督は文武両道は不可能という謎理論を持っているが、それは間違い。文武両道で結果を出しているチームは山ほどいる。
しかし、ハナから偏差値が低いこの高校はスパッと勉強を捨てるというのもアリではないのか。
逆に、高校までスポーツ経験なしで運動オンチ、でも成績だけは優秀な人が甲子園を目指す必要はあるか?
もちろん、偏差値が残念なら将来を心配するのはわかる。しかし、「ただ偏差値が低い高校の生徒」より、「偏差値は低いけど甲子園出場できた生徒」のほうがいいだろう。(偏差値30代の高校が40代を目指すより、別の価値を作ったほうがいいんじゃね?とも思う)
大半の人はどこかで他の人に比べて何かをサボってしまう時期がある。それで失った時間は取り戻せない。しかし、そこから何ができるか、何を伸ばせるか考えるのかによって良い差別化ができる。
※何度も書くけど絶対にこの監督の指導は受けたくない笑
8/11 物理的知識と自己啓発知識の違い
私の人生で大発見だ。
タイトルにも書いたがこの2つを詳しく説明すると以下のようになる。
物理的知識
➡︎実装可能な知識。医学、工学、栄養学…私たちの眼に映る現象を引き起こす知識。いわば専門知識だ。
自己啓発知識
➡︎やる気、あり方、働き方、生き方など。大抵は流行的な知識であり、断片的。この知識の持ち主が実装できる人、とは限らない。もちろん、役にたつものもあるが
例、ライフ〇〇ト生命の方々。