色々中途半端なアラツーサラリーマンが少しずつ人生をやり直していくブログ

ホワイト企業に入社したが、つまらなすぎて焦っている痛くて青臭いアラツーサラリーマン

先生になりたいとは何なのか

僕の祖父は先生になりたかったらしい。

 

あまり裕福な家庭ではなかったため、教育が受けられることに喜びを感じていたとのこと。結局、教師にはならずに大工になるしかなかったんだけども。

 

先日「ちょっと今から仕事やめてくる

」を鑑賞した。

 

内容はざっくりいうと、ブラック企業で働く青年が自殺を試みていたところをある男に助けられ、その出会いが青年を変えていく…というもの。

 

ブラック企業とか家族の絆とかそっちがメインテーマになっているが、ここでも先生が登場する。主人公の青年を自殺から救った男(演 福士蒼汰)だ。この男は海外の貧しい村に出向いて数学の先生をやっているという設定だ。彼も孤児院出身で、教育のない国に教育を与えたい

と感じ、教師に。

 

で、だ。一般的に教師になる人の志望動機とはなんだろうか?

 

「昔習った先生に憧れて」

「日本の教育に問題を感じていて」

「安定してるから」

 

まぁ色々あるだろう。

 

先生といっても塾の先生もある。

 

これは単に教えるという行為が得意だったとか、生徒の成績を上げたいとか給料の面とかこちらも色々あるだろう。

 

先生といってもスポーツコーチもある。

 

で、だ。そもそも、先生という職業は相手の意思ありきの商売なのではないか、ということである。

 

つまり、テストの点数上げたい、大学に合格したいから塾に行くし、バッティングがうまくなりたいからスポーツ塾にいく。

 

ふと思うのは例えば、スポーツチームに子供が入ったとして(特にうまくなりたいとかはない)その意識の子供がコーチなどに「うまくなりたいんじゃねえのかよ!」などと怒鳴られるのを見て不毛に思うわけである。

 

もちろん、自分には向いてなかったり、楽しくないと感じたらやめればいいのだけれど、親によっては「せっかくなら続けなさい」などと言って辞められないケースもあるだろう。

 

何が言いたいのかというと、スポーツチームで「とりあえず一緒に野球しませんか」みたいなスタンスのスポーツチームがあるなら、中のコーチはそのスタンスを認識すべきだと思う。

 

つらつらと