【映画ファウンダー】過去のものを探り良さと展開力に気づく
最近、話題のファウンダーという映画を観た。
この映画を観るまで知らなかったが、マクドナルドをここまでデカくしたのは創業者ではなく(もちろん、創業者の兄弟は優れたシステムを作っていたが)、シェイクを作るマシーンの営業にきたサラリーマンであった。
その営業マンはレイ・クロックという。
彼は「マクドナルド」というセルフ式のパーキングレストラン(当時はウェイトレスが車まで注文を聞きに来るのが普通だった)をたまたま見つけ、厨房の効率化されたシステムなどに感動して、フランチャイズ化を持ちかけた。
とまぁここからは映画を観てのお楽しみだ。私はここから
①良いものに感動し
②展開する構想
を持つことの素晴らしさを感じた。
逆に、誰もクオリティの高くないものを俺なら余裕でクオリティを高くできる、と見つけることも素晴らしい。
落合陽一さんも常々言ってるけど、過去の論文を漁りまくって、それでもないものを新しいものだといえる、と。
やりたいことがないとはイメージがわかない状態を指す。イメージがわかないとはリサーチ不足を指す。リサーチ不足なら、感動不足。感動不足ならやりたいことは見つからないのだと思う
8/9
さて、彼女と別れてから自分のことを真剣に考えるようになった。
というのも、僕が憧れていた女子をほぼ手中に収めているから。客観的には大したことはない。でも、僕が昔から抱いていた憧れの女の子を手にしたい欲を達成したせいか、自分の心がかなりあっさりしたものになっている。実際は振った元彼女にかなり未練はあるけどね。でも今思うとこのプロセスを踏まないと俺の人生は前に進まなかったような気がするから、今後どうなろうと後悔しないし、後悔しないような行動と気持ちをのせるつもり。
ここまでナンパ界隈も目を通してきたが(現実にプラス効果もあった)振り返るとビジネス書を多読していたに過ぎない。実際会ったりしたが、それだけ。
やはり最強なのは自分の知識を高めること。自分の動機を持つことそしてモテる人はモテる所に自分からいける。高給取りでアホみたいに女を買う奴もいるけど、そうではない。それも込みで考えたい。
ただ、実際その人たちを真似てみる意味はあると思った(リアルが向上することが前提条件だが)。文章能力やニッチを狙う手段は勉強になった。(ただ、なんで同じところで勝負してんのかな…とは思う。市場小さ過ぎね?だから高いのかもだけど)
さて、気持ちが落ち着いたところで現状把握と、今後に向けた整理をしたい。
【現状】
・中堅大学卒業
→高学歴に敵わない点(知的好奇心)
・不動産管理業の会社所属
→給料は東京に住むには安い。また、分野に興味が出ない+興味の出ないシステム(やらなくても自分のせいにならない状態)なのが致命的。責任の有無。
【今後】
知識収集がキモ
いきなり転職は厳しいなら、本当に難関資格の道も検討。その資格を取った後のプランも、検討。
ショートゴールは
・好奇心を保てる仕事
・好奇心を保てる仕事システム
・今後伸びる業界orニッチ市場で仕事のチャンスがあるか
【読者、情報収集について】
役に立つ読書+面白いと単に思う読書
を完全に切り分けるべき。
最近の例でいうと、筋トレの本やweb記事は確実に実生活を変えた。しかし、橘さんの本は実際何も生活を変えていない。その他、ビジネス全般にもいえるが。
そういう意味で、今の仕事は合っていないのかもしれない。
【印象に残った格言】
計画を立てるのが苦手な人はいきなりアクションリストを書いている。ワクワクするコンセプト作りから。
「嫌われる勇気」を読んで 〜目的論を振り返る〜
嫌われる勇気では原因論ではなく目的論の考え方を推奨していた。
今このような状態なのは昔の〇〇が原因だ(原因論)
〇〇の状態でいたいという目的に向かった行動をしている(目的論)
原因論はその原因に囚われてしまい、中々前に進めない可能性があることから、本書では目的論で生きることを推奨している。
本書では特に人間関係の事例を扱っていたが、それ以外の目標設定について書く。
私は目的論で生きることは過去とセットで考えるとより良いと思う。
というのも、あまりにも大きな目標設定は、結局出来ない時に原因論に戻ってしまうからだ。
例えば、低学歴の人間が研究者としてトップになるのはほぼ無理であるが、勉強することは可能である。
過去ずっと太った人がダイエットすることは可能であるが、スポーツ選手として大成するのはほぼ不可能である。
といった具合だ。目的論目線で過去を振り返ると、(上の例でいうと)太っていた時代からスポーツ選手を目指していたなら、その当時に適切な行動をとっていたはずだ。
ここから読み取れるのはいきなりのジャンプアップ目標はメンタル的にも良くない、ということだ。
太った状態からスポーツ選手を目指す
→出来ない
→ダイエットすら続かない
私には身近な人間に、原因論で生きている人がいる。祖母だ。
体調が悪くて何もできない。といつも言っている。
これを目的論でとらえると「何もしたくないから、こう言った発言をしている。」となる
あの長嶋茂雄さんは常に病気と闘っているが、全く違う目的を、持っているのだろう。なぜ目的を持てるのか?それは若い頃の積み重ねだろう、と思った。
若い頃の目的達成の数が老後の目的達成の継続性をもたらす。
(こう書くとやっぱり原因論じゃね?とも思うが、やはり目的設定が重要なのである。病気に立ち向かうことはふつうの老人であればできる。)
目的論を持つために目的を持った過去の自信(原因論)があるとより良い。
祖母と長嶋さんの例を見ても、功績の大きさではなく、行動することが全てだとわかる。
違ったアプローチだが、何もしたくないが目的として続いた場合、やりたいことが起きてもなかなか難しいのではないか、と思う。これはニートにも言えるかもしれない。だから人間は(うつ病ではない限り)目的設定をするべきなのだ。と思った。
あと、自分がコントロールできることに注力するべきだ。
特に、それなりに歳がいっている人はなおさら。
僕もナンパを勧められてやったことがあった。でも、ふと思った。「そもそも、昔からナンパとかチャラいことに慣れてる人には勝てなくね?」と。
ここで間違いなのはチャラい人になろうとしてることだ。(原因論寄りになる原因として、先天的な要因の例だけ見てしまうこと。後天的な例をみてみよう)そんなことな必要ない。今より良くなればいいのだ。今からよくなることの定義を自分で決めて、目的と目標をたてるのだ。
「正義の話をしよう」どこまで相手に寄せるか
昔、なぜか演劇のレッスンを受けていた時、こんなことを言われたことがある。
「犯罪者には犯罪者の正義がある」
正義、というとつまり真っ当な行動をする人、とか真面目、とかそういったイメージをするだろう。
しかし、ここでいう「正義」とはつまり意図とか目的とかそういったものだ。
で、だ。私は最近こんなことに巻き込まれた。
先輩Aが別の先輩BとLIVEの約束をしていたAは行くと言っていたのにもかかわらず、やっぱりやめたと言う。また、いけなくなるようアリバイをわざわざ作りそれがBにばれる。直前になってやめたくせに金を払わない。などなど。
で、これに腹を立てたBがAに対し、電話をかけるが逆ギレしていて全く電話に出ない。で、それに対して「上の人に言いますよ」的なことをラインで送ったらしい。それを横で私は聞いていた。
で、まぁ後日Aは俺の方が悪かったと。しかし、私に対してなんで止めなかったんだ、脅迫だ!とかなんとかなってるらしい。
バカバカしすぎて何も出来ない。と、思っていたし他の人も意味がわからない、とまぁそんな感じ。
でもただ1人「いや、悪いでしょ」と言った先輩が。その先輩曰く、相手が面倒クセェなら面倒クセェ人に合わせた対応しなきゃ、らしい。
なるほど。
たまたま今日、ドンキホーテに買い物に行った時、いわゆるクレーム客がいた。でも、店員さんはニコニコした対応で相手の気分を損ねずにやってみせた。
素晴らしい!
これぞ日本のサービス業!
…?
さて。
ここまでで出た結論。
相手を選ばない状況において(客、同僚)、それを捨てることはできない。
逆に相手を選べる状況ならば、それを捨てることができる。
人に迷惑をかけてはいけない?
親の教えか何かで
「何してもいいよ、人に迷惑をかけなければ」
なんてのがある。
はて。
迷惑とはそもそもなんだろうか?
家族に迷惑をかける?
友達に迷惑をかける?
会社に迷惑をかける?
うーむ。
友達との待ち合わせに遅れたら
迷惑がかかる。そりゃあそうだ。時間、機会の損失につながる。
金を返さない。これもそうだ。
でも、
親はこのことよりも
「周りの人に迷惑かけないでね」って直接子供に言ったりするわけ。
友達とケンカしたとか…迷惑?
会社の人から
転職して…迷惑?
うーん
嫌われる勇気とは迷惑をかける勇気かもしれない。
いや、というか相手を不快にさせる勇気かもしれない。